看護師兼ライターの白石です。
ここ1~2年ほど、自分でも驚くほどに精神的に安定していて、ストレスフリーな状態に近いと感じています。ストレスといっても、私の場合はほとんどが対人関係の話。よく知り合いにも、「ストレスに強そう」「うまく対処していそう」と言われますが、最近は自分でもうまくいっている実感が出てきました。さて、コラムを書くにあたって、ポツポツと振り返ってみようと思います。
まず、この1~2年に何があったかというと、一番大きいのはこれらの本を読んだことです。
・援助者必携 はじめての精神科 第3版(春日 武彦:著)
・嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え(岸見 一郎/古賀 史健:著)
※以下、本の内容が少し出てきますので、ネタバレ絶対に嫌!という方は回れ右。
当時はちょうど対人関係で悩んでいて、どうして自分はこんなことを言われる(される)のだろう、なんで伝わらないのだろう、理解できない…などと。自分の何が悪かったのか、相手は何を考えてこんなことをしたのか、モヤモヤグルグルとずっと考えてしまう自分がいました。そのときに、知り合いが絶賛していた本、「はじめての精神科」に出会います。
本の最初の方に出てくる、あるケース検討会の場面。「本当に困っているのは誰なのだろうか?」「本当に患者さんが困っているのか?これは援助者が困っているだけなのではないか」というような話があります。この本の内容は看護師などの援助者、精神科に関する話がメインです。だけど、人と人との関わりのなかでの基本的なことも書かれており、10年以上看護師としてやってきた自分であっても、はじめて知る・気づくことも多くありました。「自分はひとりで勝手に困っていたのかもしれない」「”~すべき”にとらわれすぎていたのかもしれない」「距離の取り方がうまくなかったかもしれない」と思うようになりました。
同時に、ふと思い出したことがあります。対人関係で悩んでいた当時、たまに旦那に愚痴ることもありました。旦那は黙って聞くか、「それって、どこまで弓夏に関係があるの?」とか「それは相手の問題なんじゃない?」みたいな返事をされることが多くて、正直自分としてはあまり話を聞いてもらえている感じがしなくてモヤモヤ…。「なんて冷たい奴だ」と思ったこともありましたが、「はじめての精神科」を読んだあとには、「実は見習うべきは旦那のスタンスなのでは」と思うようになったんです。
そんなときに、旦那が音声朗読ができるアプリを教えてくれて、おすすめされた無料版の『嫌われる勇気』を聴いてみることにしました。これも大きなできごとです。
なかでも「課題の分離」のパート。「これは誰の課題なのか?」という視点から考えを進めるというものです。それを見分ける方法は「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」ということ。
本編では、勉強をしない子どもとそれを叱る親のエピソードが出てきます。勉強をしないことによって、授業についていけなくなる、希望の学校に入れなくなるなどを最終的に引き受けるのは、親ではなく、子どもであると。親として放置しろというわけではなく、子どもが何をしているのか知った上で、見守る、本人の課題が何であるかを伝え、本人が勉強したいと思ったときにいつでも援助できる用意をしておくこと、と書いてありました。
この2つの本を読んで、自分が他人の領域に土足で踏み込むこと、または土足で踏み込まれているのを自分のせいにしたり、許すことをやめました。「私は私、あなたはあなた」「これは誰の課題なのか?」を意識するように。
すぐに劇的な変化があるわけではありませんが、今までモヤモヤと悩んでいたことの多くが、土足で踏み込んでいたことがわかり、それらを取り除くと、「自分の課題ってこれしかないのか、今まで自分の課題ではないものに頭を抱えていたのか…」と思うようになりました。自分なりに人といい距離感を保てるようになって、誰かに対してイライラしたり、モヤモヤしたりすることが減りました。
対人関係に起因するストレスを抱える人も多いと思いますが、そもそもそのストレスを抱えていること自体、本来は抱えなくてもいいものかもしれない…そう思ってみると、かなり気持ちが楽になります。シンプルなやり方ですが、ストレスを溜め込んだ後の対処ではなく、溜め込まないために、私がやめたことでした。参考になれば…!
小児科と整形外科の病棟で経験を積み、現在は看護師兼ライターとして奮闘中。病院外でも積極的に働き、いろいろ吸収している。メディッコではポジティブ担当。
Twitter:@yumika_shi