施設の患者さんが祖母と重なった日

先日、病気知らずで虫歯一本もない祖母が入院した。原因は、連日の酷暑による熱中症。祖父を亡くしてから15年以上、田舎で気丈にも独り暮らしを続けていた祖母も、さすがに今年の夏は堪えたようだ。幸い大事には至らず、食欲も旺盛ですぐに退院できたのだが、今回の入院によって、祖母の認知機能やADLがかなり低下しているという事実がわれわれ家族に突き付けられた。そりゃあ、年齢的に考えたら無理もない。それでも、実際に「施設に入ってもらうか」という話になってようやく、自分が仕事で関わる高齢患者さんたちと、自分の祖母の姿が重なったのである。

きっかけは社会との断絶

私の祖母は90歳手前だが、実は昨年度まで作業場で働いていた。しかし認知機能が年々低下し、いよいよ仕事に支障が出はじめたのか、「これ以上は…」と退職勧告を受ける形であっさり辞めた。そこからはほぼ朝起きて夜寝るだけの生活になってしまい、すぐに危機感を持った母(祖母の娘)が半強制的に介護支援サービスを契約した。それでも、人の世話になることが大嫌いで頑固な祖母は、定期訪問してくれるケアマネを門前払いし、家族が再三「エアコンをつけて」と言っても一切聞き入れなかった。

「このままでは熱中症になるのも時間の問題だ」と家族LINEで心配していた矢先、急に連絡が取れなくなり焦った母がケアマネに安否確認を依頼したところ、ダイニングルームで倒れている祖母が発見され、そのまま救急搬送・入院となった。発見当時、高熱だが意識はあったようで、入院後はすみやかに回復し、面会してくれた親戚から元気そうな写真が送られてきてひとまず安堵した。

自宅に戻ることは難しい

入院によるADLへの影響は今のところ大きくなさそうだが、もともとの状態としての認知機能・ADLの低下は著しかった。数日前~場合によっては昨日のことすら、今やすっかり忘れてしまう。綺麗好きだったのに、部屋の掃除もまったくできなくなっていたようだ。遠方のため、私は年に1回会えるかどうかだが、もちろん年々厳しさが増しているのは感じていた。独り暮らしも、本人のただただ強い希望によってかろうじて成り立っていたようなものなので、一度こうなってしまっては、いくら本人の希望が強くても現状の継続は難しいだろう。だって、祖母は自分が倒れて入院したことすら覚えていないのだから。

家族の心配をよそに、こんなことになっても「家にはいつ帰れるのか」「明日は帰れるのか」と繰り返す祖母。なんとかごまかして、今日という1日をしのいでもらうしかない。この状況を見て、私は「仕事で見ている施設の高齢者たちと同じじゃないか…」と思った。

もう覚悟はしている

ここ数年、母は帰省するたびに祖母と喧嘩をしていた。しっかり者だった自分の母が、年々弱っていく姿を受け入れがたかったのであろう。認知症と言えど、その場その瞬間に生まれる感情は存在するし、何もかもを忘れてしまうわけでもない。「そんな言い方しなくても」「本人に聞こえる場で言わなくても」と、仕事柄もあり私は何度となく母を咎めていたが、母からは「どうせ忘れちゃうんでしょ」という怒りにも似た悲しみが感じられた。きっとこれは、自分が同じ立場になるまで本質的にはわからない感情だろう。

祖母が入院する数週間前にも、連絡がうまく取れなかった事件(?)があり、その時すでに母は「もう、覚悟はしてます」と言っていた。私も正直、倒れて救急搬送されたと聞いたときは、詳細がわからなかったこともあり、もう会えない可能性も考えた。これから、家族のことを忘れてしまうのが先か、会えなくなってしまうのが先か。あと、どれくらいの時間が残されているのだろうか……。

会えるうちに会うことの大切さ

実は今年の春、親の帰省に合わせてひ孫の顔を見せに祖母宅へ出向いていた。当初は帰省する予定ではなかったが、次の予定が半年以上先だったので、育休中のこともあり急遽スケジュールを合わせた。普段、祖母とは家族LINEでやり取りをしているのだが、子どもが生まれてからというもの、写真をアップするたびに「かわいい」「大事に育てて」と欠かさずコメントをくれる(これは今も続いている)。グループ上で子の名前を検索したら、なんと生まれて7ヵ月で577件ヒットだった。

日々の反応で、祖母がひ孫の誕生を喜んでくれていることが伝わるのと同時に、わが子の目まぐるしい成長を目の当たりにして、「これは早くに会わせるが吉だ」と思った。うれしいことに、ひ孫の名前と自ら抱いた記憶は深く刻まれ、今も覚えているようだ。なんとかまた会わせてあげたいな。

余談になるが、赤ちゃんのパワーって本当にすごいのだ。産休前に担当していた施設に顔を見せに行ったら、いつもは表情が薄い施設のおばあちゃんたちが、赤ちゃんを見たとたんに「わぁっ!」と目を見開いて、「かわいいねぇ」「何ヵ月なの?」「元気に育ってね」と口々に、たくさん笑いかけてくれた。仕事として関わるだけだったら、一度も見られなかったかもしれない笑顔だった。

執筆者
ぽりまー(薬剤師)

新卒から調剤薬局で働いた後、異業種(医療メディア編集者)に転職し、2022年に訪問薬剤師として復帰。現在は育休中。臨床現場のリアルな声を届けられる編集を目指している。

Twitter:@care_nekko