みんなのターニングポイントはいつだ?

生きている時間が長くなればなるほど人生には色んな分岐点が訪れると思いますが、「これは僕の人生にとって大きな出来事だったな」というようなターニングポイントが存在するはず!今回はメディッコメンバーにターニングポイントを聞いてみたよ!

参加者

喜多(PT)
予測できることなんてないのだ!今を生きろ!というメンタルを持っている。
くはら(CE)
病院で働いた年数もいつの間にか十数年。臨床現場しか知らなかった男のターニングポイントとは?
松田(CE)
臨床工学技士だが専従医療安全管理者となった変わり者のターニングポイントとは?
鳥ボーイ(Ns)
芸人から看護師になったキャリアを持つ男。2つのキャリアが交わることがあるのか?!

喜多(PT)

ターニングポイントとしては、山ほど学会発表してた時期かな。その頃は、やたらめったら学会発表にトライしてたのよ。でも、理学療法のなかでもニッチなジャンルを扱ってたから、あんまり興味持ってもらえない状況が続いたんですよ。それでも続けてたら、僕のポスター発表を見て興味持ってくれた大学の先生が「これ、一緒に論文書かない?」と声をかけてくれて、そこからずっと学術指導してもらってるんです。
もう7年くらいの付き合いになるけど今も指導してもらっていて、おかげで原著論文を発表することもできたので、まさにターニングポイントやなぁと思います。
自分が取り組んでる研究に興味持ってもらえたのは、かなり嬉しかったんじゃない?
しかも、論文になる話にまで発展したら、かなりテンション上がったでしょ!

くー(ME)

喜多(PT)

そりゃ、めちゃめちゃ嬉しかったよ!
修士に行ってるわけでもなかったし、個人で論文化までもっていける感じでもなかったから、余計にね。
認めてもらえる+ステップアップって感覚がほんと当時は良かった!
わかるなー、その気持ち。
それを機に、研究活動への姿勢とか臨床業務とのバランスなんかも変わったりした?

くー(ME)

喜多(PT)

臨床業務とのバランスはそんなに変わってないかな。同じような働き方をしてたから。
ただ、研究に対する姿勢は変わった。以前よりも先行研究を読み込むとか基本的なスタンスがだいぶとしっかりしたね。当たり前のことをちゃんとやるようになっただけなんだけど、それまでは自分の勘?でやってたようなもんだったからさ、すごく勉強になったよ。
なるほどね!研究って、独学ではなかなか前に進まないよね。先行研究とか読んでなかったら結果的に要領も悪くなったりするもんね。いい経験だね。

くー(ME)

喜多(PT)

くーちゃんのターニングポイントはどこなの?
俺はTwitter始めてからのメディッコまでの流れかな(笑)

くー(ME)

喜多(PT)

そうなんや!なんか具体的にあるの?
何気なくTwitter始めて、何気なく覗いてたら「医療業界にも色んな人がいるんだなぁ。」→「え?出版してる人いるんだ!」→「ライター?メディッコ!?すっげ!!」ってなったね。
今まで臨床漬けで、たまに学会参加する程度だったから、メディッコの存在自体がカルチャーショックだったよ。
そっから、メンバーとして招いてもらって一緒に活動していくうちに、どんどん世界観が広くなっていったんだよ。

くー(ME)

喜多(PT)

へぇ!そんな感じなんや!くーちゃんはメディッコに参加する前から活動的なイメージ持ってたから、意外だったわ。院内での取り組みも影響を受けてる?
受けてるうけてる!
メディッコでコラムを書いてることがきっかけで院内雑誌に載せる一部コーナーの執筆依頼が来たし、臨床現場以外でも活躍できる場ができたのは大きな影響だよ。

くー(ME)

喜多(PT)

え、そうなんや!ってか職場の人がメディッコ読んでくれてるの普通に嬉しいな(*’ω’*)!
たまたま記事を読んでくれたみたいだけど、嬉しかったね!

くー(ME)

松田(ME)

僕のターニングポイントはちょっと、早い時期にきた。
昔話からになるけど、僕は小さい頃から遊んでばっかりで、勉強嫌いだった。中学、高校も成績最下位、大学も浪人してようやく入り、もちろん大学時代もよく遊んだね(当時コンパのキングだった(!!))。留年ギリギリ、国試ギリギリの大学生活だったよ。
病院で臨床工学技士として働きだしても、入職初日から上司に怒られまくり、毎晩飲んでばかりだったね。
えー、松田さんが勉強嫌いとか意外ですね!お酒好きなのはなんとなくわかるけど(笑)
事は新人の頃は何をしてたんですか?さて、ターニングポイントはいつだー?

くー(ME)

松田(ME)

仕事としては新人時代から医療機器管理を担当していたんだけど、色々なところから発信されている様々な【医療安全情報】が、いつも同じことばかり繰り返されていることに気付いたんだ(例えばモニタアラーム聞き逃しや、呼吸器の回路外れ等)。

そこから「え?どうなってるんだ医療業界は!」ってなって、こんなバカなぼくでもわかる程度の医療事故、医療安全情報がなぜ、超専門家集団の病院で繰り返されるの?って凄く疑問になってから医療安全に興味を持つようになったんだ。それが今も忘れもしないぼくのターニングポイント!

そんなきっかけだったんだ!

くー(ME)

松田(ME)

当時は臨床工学技士の仕事をしながら、医療機器安全管理を猛勉強したね。日本では医療機器管理、医療機器安全管理は自称日本一だと思えるくらい勉強したよ。それで、医療機器安全管理を追求した結果、医療機器を使用する側の看護師や医師たちへもサポートする必要性や、病院・病棟の環境医療全体を知る必要があると感じ、そこから臨床工学技士を辞め、(教員を経由して)最終的に病院全体をマネジメントする医療安全管理者になっていったのです。
自称日本一と言えるくらい勉強したんですね。そして、病院で働いていくうちに問題意識が芽生えて、実際に医療安全管理者にまでなってしまう行動力と努力はさすがですね!

くー(ME)

喜多(PT)

確かに!その行動力はすごいと思う!
それじゃあ、メディッコ史上最も多くの分岐点を持っていそうな鳥ボーイに話を聞いてみよう(笑)
ターニングポイントは白衣を脱いで道着を着たときですね。看護師になる前は芸人だったんですが、その経験を活かして「鳥ボーイのコミュニケーション道場」って連載をメディカ出版で持つことになったんです。

鳥ボーイ(Ns)

喜多(PT)

道着がターニングポイントだったんや!!笑
そうそう。最初は「看護で道着で道場って…」って思ってたんですが、2年間の連載…月に2万人の看護師に届く…というとてつもない経験になりました。これまで一人の患者さんに看護を届けるという個別の関わりだったのですが、多数の誰かに届けるって形もありだよなぁと再認識して、でもそれが日々の看護にも活きてて…うまく言えないけどマインドセットが変わったような経験でしたね。あ、動画はこれです!

鳥ボーイ(Ns)

https://twitter.com/fitns_mc/status/1324646876621148160

喜多(PT)

芸人から看護師になってる経歴もすごいんだけど、そこから道着に着替えるという凄い切り返ししてるよね(笑)
ほんと、メディッコメンバーはすげーターニングポイントを経験しているね。俺も興味持つわそりゃ!

くー(ME)

まとめ
メディッコメンバーのターニングポイントはいかがだったでしょうか?どんな分岐点であろうと、行動あってこそのターニングポイントになっていると感じました。これを読んだあなたも自分のターニングポイントはどこだったか思い出してみてはいかがでしょうか?