医療職がキャリアを本当に考え始めるタイミングとは

前回の座談会では、たつみさんのキャリアについての考え方を話しました。後半編では、たつみさんの過去をさらに掘り下げながら、キャリアを紐解いていきます。そこからは、医療職として、一人の人間としての在り方が見えてきました。

参加者

 たつみ(PT)
一般企業で、理学療法士としてリハビリロボット部門の業務に従事している。企業へ入職する以前は、急性期・回復期・療養型・総合病院での勤務経験のち、海外のボランティア活動を行い、帰国後は問リハ、通所リハ、デイサービス、予防体操教室などの地域医療に関わり、大学院を修了している。

 

 喜多(PT)
回復期にて勤務する理学療法士。病院勤務の傍らでメディッコ副代表、オンラインサロン運営、研究会運営、企業アドバイザーなどを行っている。

 

 須藤(OT)
急性期病院に勤める作業療法士。病院では臨床・教育・研究にフルコミットしながら、メディッコの学術部、その他研究会の世話人に携わっている。いつも本気。

働くなかで仕事や職種の魅力が見えてくる

前回の座談会では「目の前にある課題に一生懸命に取り組むことが大切」という話でしたよね。たつみさんは、実際に働くなかで「理学療法士」や「リハビリテーション」などの考え方や在り方の影響を受けましたか?

須藤(OT)

たつみ(PT)

実は、理学療法士を選んだ理由は曖昧だったのですよ。「医学、医療を知っていて困ることはないな~」と学生時代に思い浮かべていた程度なのです。僕、本当に勉強が好きではなくて、どちらかといえば授業中も寝てるか、ずっと漫画読んでたような人間です。
ええ、そうだったのですか!

喜多(PT)

たつみ(PT)

はい。そして、漫画ばっかり読んでるものだから、どんどん勉強は出来なくなっていってて、医療分野に興味はあっても学力が足りない上に血とか苦手やし…という具合に、漠然と「医者にはなられへん」と自覚していました。なので、学力的にも圏内で、医療なのに非侵襲的な「理学療法士は面白いな」くらいの感覚でした。でも、働くからには目の前のことに一生懸命しなければと思って働いているうちにだんだんと魅力を感じていったタイプです。

 

理学療法士はリハビリテーションの手段として理学療法を実施するライセンスですけれど、「その手段を最大限に発揮する方法を構築するところまでが理学療法士の仕事」なんだと思っているので、対象のすべてが関わってくる。つまり、守備範囲外を考えながら守備範囲のことを構築するっていう職業だと認識してますので、すごく遣り甲斐のある仕事だと思っています。

ロボット企業から理学療法士や医療をサポートしていることが少し分かった気がします。

須藤(OT)

医療職として腐ってもいい。でも、必ず見ておくべきことがある

僕は、医療職として3年程働くとひとつの分岐点にくるように感じています。そこで、3年目で腐る医療職が出てくると思っているのですが、そういう医療職が頑張れたりする「きっかけ」のようなものは何かないでしょうか。

喜多(PT)

たつみ(PT)

僕も振り返ったときに「あの時、腐っていたな~」「今思えば恥ずかしいな」という時期はありますよ。あ!勿論仕事にはキチンと行っていましたし、目の前の仕事に手を抜いていたと思う時期はないです。でも、仕事に一生懸命やる程に、反動のように私生活が荒れていって…暴飲暴飲…マジで腐ってました。アホみたいに酒ばっかり飲んでいましたよ。当時は痛々しく空回りしてたとは思います。なので、人間、他人に迷惑かけん範囲で、気分が落ち込む時は凹むだけ凹んで、腐るだけ腐ったらいいと思っています。

 

自分は運がいいなって思うのは、その腐っていた時にも自分のプラスになったことがあったのです。もしかしたら、人間一回は腐ってみるもんかも知れませんよ(笑)

何があったのですか?

喜多(PT)

たつみ(PT)

まだ臨床に出て2年目くらいだったと思います。セラピストは非侵襲的とはいえ、医療機関において対象の身体に負荷をかけて評価していく稀有な存在です。リスク管理の為に知っていないといけないことは山程あって、知っているだけじゃなくて、それを整理して適材適所で引き出せないといけない訳ですから、プレッシャーも大きいと感じています。まだ経験も少なく、まだまだ自分のことしか見えてない時って、不安と必死さがごちゃ混ぜになる時ってあると思います。

 

そういう精神状態だと、自分の未熟さに加えて周りの人や環境のせいにして焦燥感にかられるといいますか…る種の孤独感から気持ちが疲れてくると思うのです。自分はこうあるべき、本当はこういう風にしたいなっていう理想と、それに対する現実とのギャップ。それが大きく、続くと誰しも腐ってくると思ってて…。

なるほど…

喜多(PT)

たつみ(PT)

腐ってるときって自分でも本末転倒で、仕事終わりは一刻も早く職場から離れて職場以外のとこでリフレッシュしたいなと思って飲みに出てるのに、お酒が入ってくると現状の不満や特に他人が聞いても面白くない話を延々と口にしてるんですよね。たまたまカウンターで居合わせた知らない人に話しを聞いてもらって、そのまま「にーちゃんとりあえず飲めよ」とお酒を飲ませてもらった記憶が多々あります。若気の至りというか、若かったから周りも許してくれてたんだと今でも恥ずかしくなります。
そんななかでも、何か転機があったのですよね?

喜多(PT)

たつみ(PT)

はい。ある出来事で、自分は襟を正されたのです。

 

メンタルがアレやったので、いつものように職場から一目散に離れました。その時は、帰宅してる途中に何度か先輩に連れられて行った程度の居酒屋が目に止まったんです。なんとなく晩御飯代わりに飲もうと一人でフラッと入りました。

 

その時お店には他のお客は数名だったので、一人でカウンターに陣取って飲み始めました。カウンター席には自分一人だったので、何度か顔を合わせたくらいでほとんど会話らしい会話もしてなかった店長さんと初めてポツポツと話しました。お酒が進むと、案の定日頃の鬱憤が口から漏れ出てしまい「しんどい」という話になっていきました。それほど仲良しな訳でもなかったのに、店長は僕の愚痴に一生懸命にアドバイスをくれるのです。でも、相手は自分が病院で働いてる職員ってことを知ってるくらいで、もちろん医療のことは知らない人でしたし、焼き鳥焼いたり、お酒作ったりと仕事しながらでしたから、僕が求めてるような返事は勿論返ってなんかきませんでした。

愚痴とはいえ、応えが返って来なかったらさらに不満になったりしないですか?

喜多(PT)

たつみ(PT)

いいえ、全く不満を感じませんでした。確かに、「そんなこと試したよ」「そんなこと分かりきってるよ」みたいな内容のコメントしか返ってはこなかったです。でも、相手は医療関係でもなければ、ましてや他のお客さん対応もしているんですから当たり前です。

 

むしろ、彼は彼なりに自分の知識の中で「何かいいこと言ってあげられたら…」とか「何とか僕の心を軽くしてあげたい」という気持ちが伝わってきました。だから、「こうしてみたら?「あーしてみたら?」って言葉が出てきたと思えたんです。

そう感じたのですね。

須藤(OT)

たつみ(PT)

そうなんです。相手の意図を感じたといいますか、その瞬間に何か自分の中で大事にしていることが明確になった気がしたんです。「何を」言ってくれたかではなくて、大事にするべきは「どういう思いでコメントしてくれているか」であるとう考えに着地しました。

 

そして、言葉だけを鵜呑みに判断するんではなく、相手を慮った言葉であるか判断し、自分に投げかけてもらえる言葉はすべて素直に「有り難い」と感謝できる人間にならんと人間ダメになるなと感じたんです。その言葉がタメになるかならんかの前に、自分に投げかけてもらった言葉はすべてが「有り難い」という感覚です。

なるほど。

喜多(PT)

たつみ(PT)

その時のことをきっかけに、僕のことを考えて何かを言ってくれてる人に対して、感謝できるようになったのです。それからは、病院で「もうこの人は何も分かっていない」と思っていた看護師さんとの関係も少しずつ変わってきました。「看護師さんなりに、こうすれば良いのでは…」と一生懸命考えてくれているのかなと、思えるようになったのです。

同じ方向に歩ける人と、今やるべきことに取り組もう

自分自身が変わることで、受け止め方が変わってきたのですね。

須藤(OT)

たつみ(PT)

そうですね。結局のところ『誰か』を変えようとしてるうちはしんどいですよ。自分が変えたい『誰か』がいるなら、その『誰か』の行動変容を起こせる人物に『自分』が変わるしかないんです。変えられるのは『自分だけ」ですからね。
うんうん。

喜多(PT)

たつみ(PT)

話を戻すと、腐ってる時は腐ったらいいと思うんです。人間、そんなにみんな強くないのでね。だけど、その時にひとつ気を付けるとしたら、例えば自分が周りの人たちに愚痴吐き出した時に、面倒くさいなと思われて適当に対応されているのか、面倒な状態の自分でも一生懸命考えてくれている人なのか、それで自分に受け入れる言葉を選んでみたらどうでしょうか。腐ってた自分の視点が変わるかも知れませんよ。あくまで自分の経験に基づく私見ですけれど。
そういう他者と出会えると幸せですね。

喜多(PT)

たつみ(PT)

ただ、僕は運が良かったので、こういう出来事に出会えただけかも知れません。だって、はっきり言って愚痴なんて聞いていても、誰も嬉しくはないですから。それでも、関わりを断たない人や自分を見放さなかった人の声に、耳を傾けるように、『感謝』を忘れずに行動すべきだと思うようになりました。
多職種連携にも繋がると思います。「話を聞く」にフォーカスしてその人を見る、聞くという姿勢は簡単に出来ることではないけれども、多職種連携の基本ですよね。

須藤(OT)

たつみ(PT)

そう思えるようになってきてからは、「ヘルプを出してる人たちの話を聞いてあげたいな」「出来る限りのことはしてあげたいな」と思えるようになってきました。多分、自分が『まだ聞いて欲しいな』と思ってるうちは、『欲しい欲しい」と承認欲求のようなものが前面に出ているような状態です。『何かをしてあげたい』と思えるようになった時が、何か行動を起こせる時で、自分の人生設計をちゃんとキャリアプランとして考えるようになる時期だと思います。まだ欲している状況の時は、まず自分を整えようよって感じかなと思います。
まとめ
キャリアデザインが必要とされる現代の医療職にとって、今の自分自身を不安に感じる方は少なくないように感じます。今回のたつみさんとの座談会では、『何かをしてあげたい』と思えるような心を持つこと…そのために医療職自身が満たされるように努力することを教えてもらったように感じます。ぜひ、この座談会を参考に今の自分を振り返ってみてくださいね。